らんこです。
今年度、立て続けに祖母・祖父がお空へ旅立ってしまいました。
祖母は5月に、祖父は2月に。
コロナ禍での葬儀で思うところがあったので、そんな話です。
祖母の旅立ち。
祖母が旅立ったのは5月だった。
コロナまだ流行っていて、いろいろ規制がかかっていた時期。もちろん、病院での面会は原則禁止で、私は初めてのテレワークにチャレンジしたりと、様相が変わった世界をまだあまり受け止められずにいたように思う。
祖母はちょっと前から身体の状態が良くなくて(末期がんのため)年齢も90を超えていたので、あとはお迎えが来るのを待つだけに等しい状況だった。
4月の半ば頃にお見舞いに行ったのを最後に、その後ばーちゃんが亡くなるまで会うことはなかった。
次に会えたのは、ばーちゃんが旅立って、抜け殻になった肉体が家に着いた時だ。
ほんのりお化粧をほどこされたばーちゃんは、眠っているだけのようだった。
私と妹は罰当たりにも、眠っているかのように見えるばーちゃんのほっぺたをぷにぷにと触って、お別れをした。
ばーちゃんの死因はコロナではなかったので、最後に生きることをやめた肉体と対面することができた。
今にも起きだしてきそうなほど、亡くなったとは思えない表情の肉体と二晩を共にして初めて、「あー、ばーちゃんは本当に死んじゃったんだな」と感じることができた。
火葬して収骨して。意外に重みのある骨に、ばーちゃんの生きた日々を思った。
家族は近すぎて難しくて、あまりいい関係を築くことはできなかったけれど、確かにばーちゃんと過ごした日々はあったんだな。って感じた。
祖父の旅立ち。
そしてまさかの祖父まで旅立ってしまった。
…嘘。
まさかとは思っていなくて、1年前から覚悟はしていた。
去年祖父は、自分で生きることを放棄しようと、食べることを止め、立てなくなってしまった。
子どもたちはそれぞれ所帯が会ったり仕事が忙しかったりで、つきっきりの介護は到底無理で、それで一旦病院に入院してから、施設へ入った。
私は正直、じーちゃんも長くはないだろうな。と思っていたが、予想に反してじーちゃんは元気だった。
それはもう、入り用なものを持ってきた私の母親に「帰れ!見舞いにも来なくていい!」と怒鳴るくらいには。
カッコいい人だったから、きっと自分のこんな姿を見られたくなかったんだと思う。
施設に入ってからおよそ2年弱。
じーちゃんは旅立った。
おしっこの出が悪くなって、ほとんど食べられなくなってから、2週間近く粘った。
それには理由があった。
実はじーちゃんの妻であるばーちゃんの認知症が酷くなり、これまた家族で介護が無理だと判断した子どもたちは、ばーちゃんも施設へ入所させることにしたからだ。
その施設というのはじーちゃんが入所していた施設で、ばーちゃんが入所するその日、じーちゃんはばーちゃんとの再会を果たしたあと、旅立ったのだ。
私はまたしても仕事で立ち会えなかったのだが、じーちゃんが旅立った話を聞いて、「あぁ、ばーちゃんが来るまで待っててくれたんだな」と、夫婦のきずなを感じて感動してしまった。
緊急事態宣言が発令されていたから、じーちゃんに最後に会ったのは年が明ける前で、かなり長いこと顔を見ることはできなかったのだけれど、じーちゃんらしい去り方だなぁと思った。
ちなみに、最初に出てきたばーちゃんは、父方のばーちゃん。今回出てきたばーちゃんは母方のばーちゃんである。
そして、じーちゃんの死因もコロナではなかったため、空っぽになったじーちゃんの肉体と対面することができて、無事に見送ることができた。
お通夜の意義。
きっとお通夜って、現世に残っている私たちのためにあるんだと思った。
なかなか会えなかった祖父母の「死」というものを、きちんと実感するためには必要なことだと感じたからである。
コロナ禍において、コロナで亡くなってしまった人たちとは最後のお別れすら許されず、会えるのはお骨になってから。
しかし、骨になった故人と対面して、何を感じろというのだろうか。
その人がいないという事実はあるものの、どこか受け止められない気持ちが消化できないに違いない。
私だったらそうなると思う。
割と冷めているタイプの人間だとは思っているが、それでも、今回祖父母との別れをきちんとすることができて、幸運だと思った。
それと同時に、コロナで亡くなってしまった人たちと、その家族とのことを思うと、やるせない気持ちがわき起こる。
…何にもできることはないのだけれど、私にできるのは亡くなった方々の冥福を祈ることと、そのご家族が前を向いて生きていけるように祈ることだけだ。。
人ってひとりだと無力だなぁ…苦笑
最後に。
人間の致死率は100%だ。
だから、私もいつか必ず死ぬ。
でも、やっぱり自分の人生をきちんと生きてから旅立ちたいなと思った。
無駄に長生きしたいわけではないのだけれど、後悔しないように生きる努力はしたいな。ってか、しなきゃな。
ばーちゃんとじーちゃんは、ある程度自分の人生を謳歌できたのではないかと思う。
戦争を生き抜いて、激動の現代を生き抜いて、そして旅立っていった。
今は知る由もないが、二人が幸せだったと信じたい。
そんな感じ。